ピアノのテキストを考える:ツェルニーの練習曲
初級レベルを終えた「次」のテキストは何を使うか?
初級テキスト同様、これもまた、大いに悩むモンダイです。現在、ピアノを指導なさっている先生方の多くは、こどもの頃、ツェルニー30番、40番、50番と順に、ツェルニーの練習曲シリーズを勉強なさったのではないでしょうか?
私もその例に漏れず、ツェルニーの練習曲のレールの上を爆進(?笑)しておりました。ほとんどの曲をアンプで弾くよう指導を受けておりましたので、毎日毎日、それこそ真面目に(必死で?)練習していました。
そして、ライバルが◯番まで進んでいるらしいとわかると、追いつくよう、さらに気合いを入れて練習したり、、、(苦笑)、、、ツェルニーの練習曲の進度が、ピアノ学習の進み具合を図る目安となっていたように思います。
指導者になってしばらくは、何の疑問も持たず、生徒さんたちにもツェルニーの練習曲を課していたのですが、カナダ留学を経験し、その「常識」は見事に覆されました。
まず、私が住んでいたトロント(カナダ)の、どの楽器店に行っても、楽譜コーナーにはツェルニーの練習曲は1冊も置いてありませんでした。「えっ?」という感じでした。
レッスンを受けていたトロント王立音楽院の先生にお聞きしたところ、「ツェルニー?たくさん練習曲を書いたらしいね、、、」程度の反応。同音楽院の先生方はヨーロッパご出身の方、あるいはヨーロッパの音楽院等で学ばれた方が多くいらっしゃったので、もしかしたらツェルニーの練習曲って世界的にはマイナーな存在か?と、その時はじめて思いました。
※トロント王立音楽院は、かの伝説のピアニスト、グレン・グールドが学んだことで知られる由緒ある音楽学校です。
では、同音楽院のピアノ学習者は何を練習していたか?といえば、主に同音楽院が独自に編集したグレード別の「エチュード」を使っていました。
そして、その「エチュード」も、すべての曲をレッスンするのではなく、その生徒にとって足りない要素を含むもの、身につけるべきテクニックを含むものを、指導者が適宜抜粋して与えることが一般的でした。
レッスンは、曲を中心に行われ、しかも一回のレッスンで、バロック期の作品から現代作品まで幅広い曲を取り上げていました。1曲が終わったら次の曲、ではなく、3ヶ月〜半年ぐらいかけて、様々な時代の多様なスタイルの曲を同時に5〜6曲さらうのです。
- トロント王立音楽院によるエチュード集は、様々の作曲家による小品からなり、バロック期から現代作品までの多様なスタイルの曲を通して、いろいろなテクニックを学ぶことができます。入門からディプロマ取得レベルまで、レベルごとに必要なテクニックが体系立てられて編纂されています。トロントのあるオンタリオ州では、その音楽院が設定するグレードシステム(RCM Examination)はとても権威があり、どのRCMグレードを取得しているか、は演奏能力を判断する基準であり、RCMグレードを取得していることは、ステータスにもなっています。
ツェルニーの練習曲を弾いているのは日本人だけだった!?
その疑問を抱いたまま帰国後、ほどなくして、「21世紀へのチェルニー」(山本美芽著、ショパン)という本に出会いました。その本によると、
「アメリカやイギリスにおいては、ツェルニーはあまり弾かれていない。他のヨーロッパ諸国では、ある程度チェルニーが使われているが、抜粋して他のエチュードと一緒に使うことが一般的」
なのだそうです。
日本で長らくピアノ入門書として他に並ぶものがなった「バイエル」に通じるものがありますね。ちなみに「バイエル」も、日本のみで有名なテキストです。
考えてみれば、同じ作曲家による練習曲だけを延々と練習するって、異常な状況かもしれません、、、
ツェルニー(1791〜1857年)は、ベートーヴェンの優秀な弟子だったそうです。また、リストをはじめ、後世に名を残すピアニストや作曲家を育てたことで知られています。リストを育てたほどの優秀な先生ですから、その先生が創った練習曲集は、大変意義のあるもだと思います。
しかしながら、その練習曲集は、今から150年以上も前に創られたもの。当時と今とでは、ピアノの構造や演奏する曲のスタイルも随分と異なっていますから、もっと現代に即した練習曲も取り入れるべきではないでしょうか?
カナダから帰国して早10数年経ちましたが、以来、私のレッスンでは、ツェルニーの練習曲一辺倒ではなく、生徒さん一人ひとりの状況を踏まえ、様々な選択肢を考えるようになりました。
ブルグミュラー『18練習曲』、ケーラー『小さな手のための20の練習曲』、カバレフスキー『子供のためのピアノ小曲集』、クレメンティ『前奏曲と音階練習曲』、バルトーク『ミクロコスモス』、『ピアノのメトードA』(カワイイ出版)、、、
現在は、これらのテキスト中から、その生徒さんに相応しいと判断したものを選択してレッスンをしています。複数のテキストから抜粋して練習曲として課している場合もあります。
- カワイ出版「ピアノのメートードA」は、わりと気に入っています。前述のトロント王立音楽院のエチュードシリーズと似ていて、ツェルニーはもとより、クリフトフ・バッハ、ヘンデル、コッレリ、モーツァルト、シューマン、、、様々な時代の多様な作曲家による練習曲が掲載されています。ペダルテクニックを習得するための曲や、日本の作曲家・佐藤敏直氏による日本音階を用いた曲も含まれていて、ちょっとユニークです。レッスンでは、生徒さんに合わせて曲を抜粋して使っています。また、1曲1曲がそれほど長くないので、勉強に部活に忙しい中学生の生徒さんには宿題には出さず、レッスン時に初見練習用テキストとして活用しています。
しかしながら、ツェルニーの練習曲から全く離れたわけではありません。音楽大学進学を目指している生徒さんや、もしかしたら将来、音楽を専門に勉強するかもしれない生徒さんには、やはり、日本では王道のツェルニー練習曲シリーズを使用しています。
その生徒さんが、志望する音楽大学のオープンキャンパスなどでレッスンを受けた際、ツェルニーの練習曲の進度が、テクニックがどれほど身についているかの目安になる可能性もあるかと思うと、全く無視はできないという実情もあります。
あらためてツェルニーの練習曲の楽譜を眺めてみると、和声は単純ですし、やはり「練習曲」らしく、同じ音型が延々続いているシンプルな構造の曲ばかりなので、何も考えず、時間をかけて弾けば弾くほど、手を動かせば動かすほど、テクニックは身につくかな、とは思います。
一方、ツェルニーの練習曲を必死に練習していた当時の自分を思い返してみても、それほどチェルニーの練習曲を習得することに時間をかける必要があっただろうか?それよりももっと、様々な作曲家の作品を弾くことに時間を割くべきだったのでは?とも思います。
他にもたくさん塾に行っていたり、部活で忙しかったりなどで、ピアノの練習時間が十分に取れない昨今のこどもたちには、ツェルニー等の練習曲を無理に課すことはないのではと思います。生徒さんたちには、練習曲に時間をかけるより、もっともっと多様な曲に出会って欲しいと思っています。そして、それらの作品を通じて豊かな音楽性を身につけていって欲しいと願っています。
曲との出会いは、その曲が生まれた国の歴史や文化を知ることにも通じると思います。さらには、その作曲者と、時空を超えてコミュニケーションを果たせるものだとも感じています。生徒さんたちには、そのような貴重な出会いを、たくさんたくさん経験してもらいたいと思っています。
ツェルニーの練習曲は必須だとは思いません。選択肢の一つとして捉えるべきだと思います。多感なこどもの時期に、たった一人の作曲家の練習曲に固執するのは、いかがなものでしょう?
指導者は、ただ一通りのメソッドで教えるのではなく、様々なオプション、ヴァリエーションを備えておきたいですね。そのためには、これまでの常識や通例に従うのではなく、いろいろなテキストを調べたり試したりなど、日々、指導法を見つめ直すことが必要ではないでしょうか。
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